植民地時代④

 

 第一次世界大戦後、ヴェトナムではフランス式教育を受けた知識人の言説が新聞や雑誌で広まった。また、大戦後の好景気で資産家や労働者といった新しい層が生まれ、民族運動と結びついていく。

 

 1920年代半ばまでは比較的穏健な政治潮流が主流であったが、1925年のファン・ボイ・チャウ逮捕などをうけて、より急進的な政治グループが台頭する。グエン・アイ・クォック(後のホー・チ・ミン)が1925年に結成したヴェトナム青年革命会とそこから発展したヴェトナム共産党(1930年2月結成、10月にインドシナ共産党に改称)、そしてグエン・タイ・ホックが1927年に結成したヴェトナム国民党がその代表であった。この二つの結社は植民地政権によって激しく弾圧された。

 

 1936年にフランス本国で人民戦線政府が誕生すると、インドシナで共産党の活動が合法化され、大都市を中心に活動を強化した。しかし第二次大戦の勃発後、フランスは再び政治活動を激しく規制する。

 

 1940年6月、フランスのペタン政権がドイツに降伏する。日本はフランスが降伏した直後にフランス・ヴィシー政府に対して「援蒋物資の禁輸」「国際監視団派遣」を要求し、認めさせた。イギリス、インド、アメリカによる蒋介石政権への「援蒋物資」は、フランスの協力によってヴェトナムのハイフォンで荷揚げされ、鉄道を利用、雲南を経由して中国に輸送されていたからである。

 

 さらにインドシナ総督府と現地交渉を行い、9月23日、インドシナ派遣軍を北部ヴェトナムに進駐させた(北部仏印進駐)。

 

 1941年7月28日には、「インドシナ共同防衛」を名目に、日本軍第25軍を南部インドシナに進駐させた。日本軍は第21師団がヴェトナム、カンボジア、ラオス全域に展開した(南部仏印進駐)。

 

 

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