キリスト教宣教①

 

 ヴェトナムにキリスト教が伝わったのは16世紀前半とみられているが、詳細は不明である。黎朝の1533年に出された禁教令に宣教師の名前があり、ナムディン近辺で布教活動が確認されることから、1533年以前には布教が開始されていたと推定されている。フランシスコ会やアウグスチノ会が個々に伝道活動を行っていたようである。

 

 その後、17世紀にヴェトナムでの宣教を主導したのはイエズス会である。日本のキリスト禁教令後、打撃を受けたヨーロッパ人宣教師や日本人キリスト教徒が新たな宣教先として目を付けたのがインドシナであった。

 

 1615年、イエズス会のヴェトナム南部における宣教活動を開始する。ナポリ人のフランチェスコ・ブツォーミとポルトガル人のディエゴ・カルバリョがコーチシナに到着している。

 

 その後1625年、有名になるイエズス会士のアレクサンドル・ド・ロードがコーチシナに派遣され、1627年に北部トンキンで布教を開始した。ド・ロードは鄭氏政権の権力者に貴重品を贈呈して接近し、権力者の保護を得て布教活動をした。3年目には3500人の改宗者を得ている。

 

 ただし、イエズス会は鄭氏と対立する広南阮氏にも接近を図ったため、ド・ロードは南部のコーチシナに追放される。まもなくトンキンに戻り布教活動を再開するが、1645年、処刑猶予のついた国外退去勧告を受けてヴェトナムを離れる。

 

 1649年、ド・ロードはヴァチカンでヴェトナムにおける宣教事業への支援を要求する。しかし賛同が得られず、母国フランスからの支援獲得を目指すことにした。フランスで主張が認められ、ここに1663年、パリ外国宣教会(MEP)が発足し、フランス・カトリックの海外宣教事業が開始されるのである。

 

 MEPはインドシナでイエズス会の既存のネットワークを活用することで浸透を図った。MEPのフランソワ・パリュは1672年、トンキンに商館を設置するよう建議している。

 

 1678年、ヴァチカンが極東での宣教を6つの大教区に分ける勅令を発布し、トンキン及び中国諸地方、コーチシナ及び南北中国諸地方がMEPの管轄に置かれることとなった。

 

 

 

 

 

参考文献

佐藤彰一『宣教のヨーロッパ』中央公論新社、2018

バンガート,ウィリアム(上智大学中世思想研究所監修)『イエズス会の歴史』原書房、2004

牧野元紀『18世紀以前のパリ外国宣教会とベトナム北部宣教』富士ゼロックス小林節太郎記念基金、2009

松本信広『ベトナム民族小史』岩波書店、1969 

 

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