ラオス略史④

 

 ラオス王国政府とパテート・ラオの連合政府は8か月しか持たなかった。

 

 1958年の国会議員補欠選挙では王国政府の腐敗が問題になったこともあり、21議席中9議席をパテート・ラオ側のラオス愛国戦線が獲得した。これに危機感を募らせた右派は、中立政策をとるスワンナプーマーの追い落としにかかり、同じく危機感を募らせたアメリカもラオスへの援助を保留にすることでスワンナプーマー政権が弱体化した。そこで、明確に反共政策をとるプイ・サナニコーン政権が樹立され、パテート・ラオと再び対立が深まり戦闘が開始されたのである。

 

 1960年8月、ラオス王国軍の26歳の司令官コン・レーがクーデターを起こした。コン・レーは中立への回帰を求め、再びスワンナプーマー政権の樹立を要求、そしてそれは実現した。しかしこれ以降、アメリカの支援を受けた右派と、中立派とパテート・ラオの三派による戦いが続くことになる。

 

 1961年5月16日、ラオスに関するジュネーヴ会談が開催され、交渉が繰り返されたのち、翌62年6月23日に第2次連合政府が成立する。

 

 だが中立派は分裂し、パテート・ラオも右派も自分たちの勢力強化に努め、1963年末までに連合政府は修復不可能なほど崩壊、再び内戦が始まった。

 

 この頃、北ヴェトナムとアメリカはジュネーヴ協定に違反して、ラオス内政に直接干渉していた。北ヴェトナム軍は東側の国境地帯の守備を引き継ぎ、ここを通過して北ヴェトナムから南ヴェトナムへとつながるホーチミン・ルートが形成されていた。パテート・ラオはここを通るヴェトナム兵の為に米を買い占めたり挑発したりしたため、南ラオスは米不足に陥ったという。一方、アメリカは北部で秘密戦争を進めた。

 

 

 1964年5月、アメリカによるラオスへの空爆が始まった。パテート・ラオと、それと結びついた北ヴェトナム勢力への攻撃である。ラオス国内には、北ヴェトナムと南ヴェトナムを結ぶホーチミン・ルートがあった。攻撃はラオス王国軍の印のついたT-28爆撃機によって行われていたが、操縦士はタイの基地から飛び立ったアメリカ人とタイ人だった。

 

 1964年から1970年までの間にアメリカがラオスで行った空爆は全て「武装偵察」と呼ばれ、アメリカがジュネーヴ協定を遵守しているという建前を維持しようとした。

 

 後に、グアムから出撃したB-52爆撃機がホーチミンルートへの定期的な爆撃を行うようになり、1970年にB-52が北部に展開するまで続いた。

 

 ラオスへの空爆はパテート・ラオと北ヴェトナムのラジオでは報道されたが、アメリカ市民や議会には明らかにされなかった。1969年にアメリカ上院の外交委員会で秘密の議会公聴会答申が明らかになり公となった。1964年から1973年までにラオスに落とされた爆弾は200万トンを超えている。

 

 

 戦いが再開されてからは一進一退が続き、決着のつかない戦闘が続いた。

 1968年1月のテト攻勢を経て、ヴェトナムでは和平交渉が始まろうとしていたが、ラオスは全く逆であった。ホーチミンルートとジャール平原という重要な拠点を勝ち取ろうとして両者の戦闘が激化したのである。北ヴェトナムはテト攻勢で被った損害を補うために、ますます多くの兵士を南に送るためホーチミンルートの防衛が重要になった。

 

 

 

 1970年3月18日、カンボジアのシハヌーク殿下がカンボジアの国家元首を解任された。シハヌークはそれまでヴェトナムと国境を接するカンボジア領の使用と、コンポンソム(シハヌークビル)の港に荷揚げされた物資をヴェトナム解放戦線に送ることを、ヴェトナムの共産勢力に許可していた。しかしシハヌークの後に元首となったロン・ノル将軍はその二つの権利を取り消した。

 

 1970年4月から7月までの間に、アメリカ軍と南ヴェトナム軍がカンボジアに侵攻し、ヴェトナム共産勢力を攻撃し駆逐をはかった。その結果として、ヴェトナム共産勢力にとってはラオス領内のホーチミン・ルートがますます重要になったのである。

 

 このころアメリカはすでにヴェトナム戦争からの撤退を進めており、ヴェトナム戦争は南ヴェトナム軍によって担われる、ヴェトナム戦争のヴェトナム化を目指していた。その試金石として、南ヴェトナム軍だけでの作戦として、1971年2月8日から3月25日まで、ラオス領内のホーチミン・ルートを切断するための最初で最後の地上戦が行われた。これがラムソン719作戦である。これは作戦も実行力も情報も貧弱で失敗に終わった。

 

 

 

 

参考文献

スチュアート‐フォックス,マーチン(菊池陽子訳)『ラオス史』めこん、2010

山田紀彦『アジアの基礎知識5 ラオスの基礎知識』めこん、2018

ラオス文化研究所編『ラオス概説』めこん、2015 

 

 

    著書