秘密戦争

 

ラオスの秘密戦争と呼ばれる政策は6つの要素からなっている。

 

1つ目は、タイからラオスへの数十億ドルにおよぶ援助プログラムである。これは内密の存在であったタイ米軍顧問団の援助下でなされたものである。このプログラムではラオス王国軍に対して軍備や訓練などが提供された。

 

2つ目は、パフォーマンスの悪い低地ラオス軍の補強のため、アメリカが山岳民族のモン族(Hmong)を積極的にゲリラ兵として雇ったことである。ラオス王国軍の高官だったモン族のカリスマ、ヴァン・パオ(Vang Pao)はCIAの注目を引き、北部ラオスの戦略軍地域における司令官に任命された。ヴァン・パオとモン族の兵士は、ラオス・ヴェトナム国境地域で北ヴェトナム軍とパテート・ラオに対する攻撃と偵察を行った。1961年、CIAはロンチェンに秘密基地をつくり、ホーチミンルートを通る北ヴェトナム軍への攻撃の中枢となった。

 

3つ目は、CIAの航空会社、エア・アメリカである。これは正規軍・ゲリラ軍の活動や補給、秘密裏に行われていた偵察、墜落した操縦士の探索救助などを含め、ラオスでの活動に不可欠な役割を果たした。米国国際開発局(USAID)の仕事で難民輸送や食料・衣料品の提供も行った。

 

4つ目は、CIAの広範囲かつ前例のないラオスへの軍事援助である。作戦・訓練の顧問を派遣し、内密の作戦を監督するために、CIAはタイに4802d合同連絡支所を設置した。

 

5つ目は、タイ王国政府の協力である。タイの協力は、ラオスへの内密での軍事援助プログラムにとって不可欠であった。ヴェトナム戦争を遂行するための基地の提供に加えて、タイは「司令部333」(HQ333)と呼ばれる組織を密かに設置し、ラオスで活動するタイ兵の徴兵と訓練を促進した。これらの部隊はCIAによって運営された。

 

6つ目は、アメリカ地上軍のラオスへの関与は最小限だった一方で、米軍は空からの激しい爆撃をラオスで長期間にわたって行ったことである。

 

 

参考文献

竹内正右『ラオスは戦場だった』めこん、2004

Stanley I. Kutler, Encyclopedia of The Vietnam War, Charles Scribners Sons, 1995

 

    著書