ペッサラート(1890~1959)
1890年1月19日、ルアンパバーン王国ブンコン副王の長男として生まれる。14歳でサイゴンのリセに入学し、その後、パリで8年学ぶ。1年間オックスフォードでも学んだ。1913年にラオスに帰国後はヴィエンチャンの理事官府に配属され行政官吏となる。ラオスの歴史、文学、文化研究を重視し、指導的役割を果たした。
1941年、副王に任命されるとともに王国政府首相に就任。
日本の敗戦後、シーサワーンウォン国王がフランスの保護を認めたのに対し、ペッサラートは各地にラオ・イサラ委員会を設立し、独立運動を展開。
1949年7月のフランス・ラオス独立協定でラオ・イサラが容認派と完全独立派に分裂し、前者はラオスに帰国、後者はヴェトナムに向かうが、ペッサラートはどちらにも依存しない独立を目指してバンコクに残った。
最後までラオスの中立を目指し、1957年にラオスに帰国。以降、政治的舞台から姿を消し1959年10月15日に死亡。
参考文献
スチュアート‐フォックス,マーチン(菊池陽子訳)『ラオス史』めこん、2010
山田紀彦『アジアの基礎知識5 ラオスの基礎知識』めこん、2018