Finding the Dragon Lady:The Mystery of Vietnam's Madame Nhu(「ドラゴン・レディを探して――ヴェトナムのマダム・ニューの謎」)は、アメリカの作家でアジア研究者のモニーク・ブリンソン・デメリーが、南ヴェトナム大統領ゴ・ディン・ジェムの弟ゴ・ディン・ニューの夫人だったマダム・ニューについて記した評伝である。

 

 ゴ・ディン・ジェムは独身であったので、マダム・ニューは実質的なファーストレディの役割を果たしていた。1963年にヴェトナム人僧侶のティク・クアン・ドックが南ヴェトナム政府による仏教弾圧に抗議して「焼身供養」を行ったが、こうした仏教徒の一連の焼身に対してもマダム・ニューは「僧侶のバーベキュー」と言い放ったことで顰蹙を買ったのが有名である。その辛辣な性格から欧米のメディアには「ドラゴン・レディ」と称されていた。

 

 1963年にゴ・ディン・ジェムとゴ・ディン・ニューの兄弟がクーデターで殺害された後、子供と欧米諸国を転々としていたが、いつしか彼女のことは忘れ去られていた。大学でヴェトナム研究を行っていたデメリーは戦闘や爆撃よりもなぜだかマダム・ニューに興味を惹かれ、指導教授らにそのようなつまらないテーマはやめた方が良いと思われながらも、ちょっとした情報からパリのマダム・ニューの現住所をつきとめた。手紙を書き、インタヴューの依頼をするも、返信はない。しかしある日、突然自宅にパリから電話がかかってくるのである。「ボンジュール?」

 そうして約2年間にわたる、マダム・ニューへの電話インタビューがはじまった。

 

 本書は、マダム・ニューの幼少期からの伝記と、デメリーがマダム・ニューとコンタクトを取るまで、そしてその後のやり取りが交錯的に書かれており、ヴェトナムの歴史書としてだけでなく読み物としても興味深い。

 

 両家の次女として生まれたマダム・ニューは、男の子を希望していた母親から大切にされず、不遇な幼少期を送りながらも負けずに勝気な少女として育っていった。彼女によればゴ・ディン・ニューとの結婚はまったくもって一族の繁栄のためであり、愛情ではなかったという。ゴ・ディン・ニューの政治的な浮き沈みと共に彼女も苦しい時期を味わうが、ゴ・ディン・ジェムの大統領就任以降は南ヴェトナムをわが物のようにして生活を謳歌した。

 

 著者のデメリーは、マダム・ニューが大統領府で暮らしていた際にどのような服を着ていたか、食事をしていたか、などの生活面に関心を持っているようで、政治的な動きももちろんであるが、政治の中心にいたヴェトナムの女性たちから見たこの時代が浮き彫りにされている。なお一族のために暗躍したという点ではマダム・ニューの母のマダム・チュオンも同じで、日本人外交官・横山正幸との関係などについても興味深かった。

 

 デメリーに描かれるマダム・ニューのエキセントリックぶりは健在のようで、会う約束をしておきながらすっぽかしたり(これはデメリーを試していたと思われるが)、まくしたてるように一方的に電話で話したりするようなところは、ドラゴン・レディの面目躍如といったところである。

 

 マダム・ニューの弟はクーデター後に逮捕され長きにわたる拷問で心神喪失し、アメリカに住む両親殺害の罪に問われながらも裁判不適合となった。1960年代のヴェトナムの政治的混乱はそのようなところにも影を落としている。歴史の大きな空白に残りのピースがまた一つはめられた、そんな雰囲気のする一冊である。

 

 

 

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